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高齢社会に希望をもたらしてくれる本「注文をまちがえる料理店」は若者にこそ読んでほしい

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こんにちは。セイカ(@seyca_ktd)です。

突然ですが、あなたは「認知症」についての説明ができますか?

 

…私はできません。

知り合いに軽度の認知症のおばあさんがいるのですが、それでも

セイカ
ボケていて、つい数分前にやったことや話したことを忘れてしまう症状

ってなくらいにしか説明ができません。

これは老化によるものとはまったく別物で、判断力や理解力の衰えがあり、忘れっぽいことさえも自覚できないということもあるのです。

そんな認知症の方を巻き込んで、世間をざわめかせたイベントが東京であったんです。

それがこの「注文を間違える料理店」という取り組みで、同じタイトルで本も出版されています。

その発起人である小国士郎さんが、私の住む高知県の嶺北地域で座談会をする機会があり聞きに行きましたが、それはそれは刺激的な内容ばかり!

この一冊はこれからの高齢社会に明るい未来をみせてくれる、素晴らしい本なので、ぜひこのブログで紹介させてくださいね。

認知症を抱える人が接客対応をするので、注文をまちがえることもあるけど、みんながそれを受け入れて、まちがえることさえも楽しんでしまう。

その様子にきっとほんわか心温まることまちがいなしです。

「注文をまちがえる料理店」ってなに?

そもそもこの「注文をまちがえる料理店」の存在を知らない方のために。

認知症の方がウエイターとして働くレストラン

認知症の方が注文や配膳などを行う、期間限定の都内で開催されたイベントです。

そんな認知症の方を巻き込んで行われた「注文をまちがえる料理店」というイベントが2017年に東京で行われていました。

このことはYahoo!Japanなどのメディアも取り上げたり、SNS上でもかなり拡散されており、私が個人的に好きなメディアの方も呟いていました。

発起人はテレビ局のディレクターをしている小国士郎(おぐに しろう)さん。

今回ご紹介する本の著者である方です。

実際に「注文をまちがえる料理店」のプレオーブンの様子がYouTubeに動画としてありました。

この動画を見れば、いかにこのイベントが素晴らしいものだったかを、働く認知症の方や、スタッフの方、お客さんの表情を見れば一目瞭然。

セイカ
私もこの場に行ってみたいなあ。

そんな風に思うことまちがいなしです。

「注文をまちがえる料理店」をはじめることになったきっかけ

テレビ局のディレクターをしていた小国士郎さんが、たまたま取材現場として向かった先が、今回のすべての発端になったようです。

その向かった先は、認知症介護のエキスパートの和田行男さんが統括するグループホームのひとつ。

この和田さんが介護をする上で大事にされていることがとても素敵で、本書の中の和田さんの言葉を引用させてもらいます。

「介護っていうのは、やっぱりその人の持っている力を、その人が生きていく上で必要なことのために引き出していくことだと思うんですけど。

僕は最期まで人として生きてほしい。

人は誰もが自分の持っている力で生きていくんで、持っている力を自分で使いこなせなくなっているのが認知症だと思うから、使えるように使えるように、応援していくのが僕の仕事かな。」

(中略)

「認知症である前に、人なんだよな」

このことを大事にされているので、グループホームではみんなできることは自分でやるようにしているそうです。

料理も洗濯も、掃除も、買い物も、できることはすべて。

怪我や事故のリスクももちろん付いて回ることなので、そこはグループホームのスタッフがしっかりとサポートしているんだとか。

小国士郎さんが、注文をまちがえる料理店を思いつくことになったきっかけはここでの経験から生まれたものでした。

「注文をまちがえる料理店」を読んで印象的だった2人の言葉

注文をまちがえる料理店」の本の構成はこんな感じになっています。

プロローグ 「注文をまちがえる料理店」ができるまで

第一部   「注文をまちがえる料理店で本当にあったものがたり」

第二部    「注文をまちがえる料理店」のつくりかた

エピローグ 「注文をまちがえる料理店」のこれから

プロローグの【「注文をまちがえる料理店が」できるまで】では、参加された認知症の方の旦那さん、サポートスタッフの方、お客さん、発起人の小国士郎さんなど、このプロジェクトに関わったいろんな立場の方の声を直接読むことができます。

見方によっては、

「このイベント、認知症の人をバカにしてるだけではないのか」

とも捉えられそうなもので、実際にそういう批判もあったようですが、そうではなかったことが本を読み進めていくとわかります。

注文をまちがえる料理店で働いていた認知症と診断されたスタッフの方も、働いたり、給料をもらったことは忘れてしまっていたけど、心では覚えていたんだなあと、なんだかほっこりするエピソードがたくさん詰まっています。

そんな本書を読んで、中でも印象的だった2人の言葉をご紹介します。

お客さん「ナオさん」の言葉

ステージ4のガンを患っているナオさんの書かれた言葉がとっても印象的でした。

病気にならなければ、失わずに済んだものは多いけれど、今の心地よい生活は、私が病気にならなければ、ないものでした。

(中略)

失うことは、怖くて辛いこと。

けれど、失ったものだけを追いかけるのではなく、今あるもの、できることに目を向けていけば、新しいかたちが生まれ、こんなに輝く時間を作ることができる。

レストラン内で、若年性認知症と診断された奥さんが弾くピアノに合わせてチェロを弾くご主人。

そのご夫婦の演奏を聴いてナオさんが感じたことがまっすぐに書かれた文章をみて、

セイカ
こんな物事の捉え方もできるんだなあ。今ある幸せって自分の思考次第。

そう思いました。

小国士郎さんの言葉

「注文をまちがえる料理店」を開催することによって、認知症の方と触れ合う機会を持つことで、認知症を知るきっかけになる。

そしたら、あえて間違ってもらった方がいいのか、ということも考えにあったようです。

もちろん、その方向性はなくなり、間違えないように精一杯努力する方向性になりました。

その決め手となったエピソードが印象的でした。

「”間違えちゃうかもしれないけれど、許してね”っていうコンセプトはとてもいいと思うんです。

でも、妻にとって、間違えるということは、とても、つらいことなんですよね…。」

その言葉は僕の胸に、深く深く突き刺さりました。

あぁ、なんて自分はバカだったんだろうと思いました。目の前で少しはにかみながら、僕たちの話を聴いていた泰子さんはどんな気持ちだったのだろう。

「間違えることは、つらいこと」

– そんなのはあたりまえのことじゃないか。

一見、エンターテイメント性の高そうなイベントで、働いてくれるスタッフの方も「認知症」と一言にまとめてしまいそうだからこそ、和田さんの

「認知症である前に、人なんだよな」

この言葉がめちゃくちゃ大切な気がしました。

これって、認知症に限らず、ガンでも他の病気でも、アトピーとか性格的なものでもなんでもそうだと思うんですよね。

それはその人のただただ一端でしかなくて、その人はその人であることは変わりがないんです。

なんだか当たり前なんだけど、見落としがちなところに気がつかされました。

「まあいいか」その一言で生きやすくなる人は確実に増えていく

「多様性」という言葉が最近になって盛んに言われるようになりました。

これってとってもいい方向に進んでいるなあと思うんですよね。

この「注文をまちがえる料理店」が起こしたムーブメントは一過性で終わらせるにはもったいなさすぎて、これからの日本社会全体に反映されていってほしいです。

そのためには私自身も日頃から心と時間とお金に余裕を持っておきたい。

高齢社会はネガティブ的に捉えられがちですが、高齢社会だからこそ、できることがある。

これは落合陽一さんも「日本再興戦略」という本でも書かれていました。

ハンバーグが餃子になっても、まあいいか。

コーヒー飲むはずだったけど、紅茶になった。まあいいか。

この「注文をまちがえる料理店」の本を読むと、自分のちっぽけさがあほらしくなります。

これからの日本社会を生きるあなたへ。若者へ。

ぜひぜひ読んでほしい一冊です。

ABOUTこの記事をかいた人

91年滋賀県生まれ。元本山町地域おこし協力隊。 夫婦で林業をやりながら、セルフビルド家づくりに挑戦中! カナダに永住する予定が、高知に移住し、山師の夫と結婚。3歳娘、5歳息子と4人で山暮らし。2023年10月にはもう1人家族が増える予定。 ヤギとニワトリとカモも飼っています。