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こんばんは。せいかです。
今日は更新しようかしないか悩んだけれど、やっぱりしておきます。
空を高く飛べる鳥でさえも津波に飲み込まれてしまった。
ハッとした。
人間だけが被害にあったのでなく、野生動物をはじめ、あらゆる生き物が天災だけでなく、福島での人災にも巻き込まれた。
そのことを視覚からの記憶として残している人物がいるので、紹介させてください。
たまたま京都のギャラリーの2階で、当時写真部だったわたしは冬期写真展を行っていたのですが、その1階では福島第一原発20キロ圏内で撮影されたペットや家畜動物たちの写真展が行われていました。
この写真集を見れば見るほど人間のエゴイズムなところがいかに悲惨なものかを思い知らされる。
ごめんね。ごめんね…。
そう言って写真の中にうつる動物の瞳の奥をみつめる。
その後、太田さんには私の母校でもある京都外国語大学でも展示を行っていただいたり、姉がカフェを任されていた「喫茶 古良慕」で展示開催にも協力をしていただきました。
訪れてくれたひとたちは涙を流して、「こんな機会を作ってくれてありがとう」と言ってくれました。
そのとき「ああ、こういう視覚から聴覚からでも、とにかく五感を使って感じる事が大切なんだ」と再確認。それでどう感じて、その上でどう行動にうつすのか。
人間は愚かだから、同じ事を繰り返す。もちろん私だってそのひとりなのは言うまでもなく。
だからこそ学び続け、考え続ける必要があると思うのです。
「常に」でなくっても「いざというとき」のために備えるということ。そして、普段営む暮らしを見直すこと。
それを太田さんの写真はおしえてくれました。
被災した方の気持ちと同じ感情にはなれない。でもだからこそ、被災した方の気持ちに寄り添っていきたい。
東日本大震災。
あの日から5年です。
震災発生3ヶ月後から、実際に被災した現地へと訪れ、写真洗浄をはじめとする、農家さんや漁師の方の仕事復旧への手伝い、炊き出し、祭の手伝いなどあらゆるボランティア活動に参加してきました。
その活動を通して毎度感じていたのは、
「目に見えるところの復興」がすべてではない
ということ。
もちろん視覚から入ってくるものが精神状態を左右することは間違いないけれども。
(写真:気仙沼大島の亀山からみえる朝日)
(写真:亀山から気仙沼市街を望む)
その想いから、自分が自分らしく、相手と真っすぐに向き合えることをしようと思い始め、未来を担う子どもたちの心のケアを少しでもできれば、というところから立命館大学の友人と「写真教室」という企画をし、実際に気仙沼大島の希望する小学生を対象に、2ヶ月に1度くらいのペースで通って不定期ながらも2年ほど開催していました。
でもそれもすっごい上から目線な話。
実際はわたしの方が子ども達から学んだことが多くて、「ありがとう」と今でもその気持ちでいっぱい。
一番参加してくれていた年代の子の卒業式の写真撮影にちょうど2年前に行きましたが、本当に無事に卒業していく姿が嬉しく、彼女たちの表情は格段にたくましくなっていました。
その卒業式以来、わたしも気仙沼大島をはじめとする、今までお世話になった方がいる場所に行けていないのがなんとも残念なんですが、遠く離れたこの場所からでも「発信する」ということはできる。
石巻出身の尊敬する写真家の方は会う度にいつも、
「どうかこのことを風化させないでほしい。」
とお話されていました。風化されたときにはまた同じ悲劇が繰り返される、と。
やはりいつどこでなにが起きるのかわからないから、それに常々備えておく事が必要。
「残された人」は「去ってしまった人」の分も背負って生きていく。
写真家の彼もまたそのひとりで、教訓をまさにより多くの人に伝えようと生きているのです。
これは今回の震災に限らずとも交通事故など不慮の事故や病気なんかでも同じことなんだと思う。
辛い思い出を忘れることはむずかしいかもしれない。でも、それを忘れる必要なんてちっともなくて、それを糧に一歩ずつゆーっくりでいいから前を向いて生きていけばいい。

私が2014年3月11日にカナダでみたオーロラはとってもきれいで、思わず仕事中だったけれど泣いてしまいました。

きっと空からあたたかい目で見守ってくれている。
そんな素敵な夜空でした。
それではまた。
P.S.
わたしの尊敬するフォトジャーナリストの方が新たに本を出されました。
おすすめの一冊です。
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