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こんばんは。せいかです。
ハッピーハロウィン!…でしたが少し時間が過ぎてしまいました。
さて、今日はこんなお話。
目を見つめているからって恋に落ちたわけではありません
タイトル見て、なんちゅう記事や!って突っ込み入れたくなる感じですが。
今回もある農園で数日間お世話になっていたのですが、
そこで出会った方にこんなことを言われました。
いやー、君、めっちゃ目見るね!!
それだけ見つめられると男は惚れてしまうで。
前からこういうことをよく言われる機会はあったのですが、
「いやいや、ないでしょ〜。」と流していたけど、
あまりに色んな方に突っ込まれまくるのでちょっとさすがに考えてしまいます。
目を見る、ということについて考えすぎてよくわからんくなってきた。よく人の目を見すぎて話す私にとって人の目を見てるときは恋心はもちろん、恥じらいが存在していない。だから厄介らしい。
そう、ほんとに私の中では「見つめる」って感覚ではないのです。
ただ「見てる」だけ。
でもそれだと小悪魔的発言で終わってしまいそうなので、そこは違うと弁解したい。
確かに幼い頃から12年間ずっと空手をしてきたので、
完全その世界は目線と気迫で相手をびびらせるっていう感覚は大いにあったし、
それの影響が多少なりあって、目を見てしまっているところはあると思います。
でも、日常会話の中で目線で相手びびらせてどうすんのって話で、
今は決してそんなことはないのでご安心ください。
私がその人と話すときに目を見るのにはそれなりに理由もあるのです。
それは、その人の「心」を知りたいから。
もっと言うと、心と心で対話したい。
パートナーはもちろんのこと、家族や異性関係なく友人とも。
多分そこがちゃんと成り立っていれば、こんなに目をずっと見て話すこともないんだろうけど、
あまりにそこが薄れているように感じるから、悲しくなったりすることがあるのです。
この感覚は、自然と関わってから特に思うこと。
あまりに自分の中で、これは相手を傷つけるとかどうとか、
勝手に遠慮して言わないことが多すぎる世の中。
それが「空気を読む」ってことなのかもしれないけど、
それを言わないからこそどんどんストレスや鬱憤が溜まって、人間関係も悪化していくのです。
まさに負のスパイラル。
子どもの頃だったら当たり前のようにできてた・言えてたことが、
「大人になる」っていうことをはき違えて、
自分を含め、大半の人が生きているような気がします。
言葉ではどうとだって言えるのです。
でも目を見てればその言葉が嘘か本当かある程度わかる気がするのです。
目は「心の窓」とも言うくらいだし。
そうはいっても、ずっと見続ける必要はないのかもしれないですが…。
そこはまだまだ自分のコミュニケーション能力が長けていないというか、
たまにやっぱり目を見続けて話していると、
特に私の場合だと、
その人の心を見ようとすることに集中しちゃって、たまに意識が飛んでいたりすることも。
これは完全にダメなパターンです。
だから今はもっとその人の雰囲気を感じつつ話せるようになろうと訓練中。
きっとその人の心と対話するには「目」だけでなくって
他にもいろいろとあるとは思うので、それも探りつつ。
まあそういうわけで、なんだかくだらない記事になってしまいましたが、
世の中にはこういう女もいるんだよ、というお話でした。
女性に限らず、そういう男性もきっといるでしょう。
もっとお互いが素直に楽な関係でいられるような人が増えていったらいいなあ、なんて思う今日この頃です。
あまりに世の中のひとたちは我慢し過ぎです。
泣きたいときは泣けばいいし、腹立ったら叫んだっていい。
理性を持ちつつ、人間らしく私は生きたいです。
というわけで、また!おやすみなさい〜。
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