『足るを知る暮らし』は原始的な暮らしってわけではないというお話




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こんばんは。せいかです。

よく江戸時代を例に話されることだけれど、
むかしは物質的に貧しくても精神的には豊かだった、なんて話があります。



満足はしていたって、それでもどこか物質的に豊かになりたい欲があって、
現代のような暮らしができあがったんだと思います。

やはり画期的で、最初は衝撃を受けて、輝いてみえるし。

しかし、もういけるところまで結構来てしまった感じがあって、
現代の人々はそれに気がつき始めています。

私としては、その今まで辿ってきた過程っていうのはとても大切だと思っていて、
そこがあったから、今自分もこういう暮らしを選んで歩み出しているのです。
もちろんきっかけがあったからこそですが。
参考:国際協力に関心があり、海外勤務を目指していた私が日本で農を学ぶことになった3つのキッカケ

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そう言うと必ず「江戸時代とまったく同じ暮らしにもどるの?」ってことを問われますが、
その意見は全く違っていて、
でもだからといって、その時代からかなり遠ざかった暮らしが今はできあがっているので、
そこから何も学ばないっていうのも、素直ではないと思うのです。

何に対しても言えることだけれど、極端に片方だけを知って答えを出すのはリスクが高いです。

両方(あるいはすべての局面)を知ってこそ、そこからようやく判断ができる

だから、その両方を上手いこと取り入れながら暮らしていけばいいし、
それがなにより過去を否定しないかしこい生き方だとも思います。

今までの過去を後悔したって仕方がないし、
それを今、そして未来に生かすことを考えた方が明るく前向きに生きられます。

過去をありのままに受け入れることが何よりも大切に感じます。

それはきっと暮らし方だけではなくって、自分の感情とかにも置き換えていえること。

つまりはこういうこと。

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話は戻りますが、あるとき、お世話になっている仕事先の方が、


自分のエゴを出していたら、
それは自己中心的で自己満足で終わるし、いろんな人を傷つける可能性が高い。
でも、自分のエゴを、宇宙規模のエゴとして考えれば、
世の中もっと素敵になるのになあ。

と話すのを聞いていて、考えさせられました。

おそらく自分のエゴの究極は戦争なんだろうと思います。

そこを宇宙規模で考えれば、
個人規模で考えたときに沸いてくる不安や恐怖心は薄れるだろうし、
攻撃的にもなりにくいのかなあ、と。

それでもっていう部分は大切にしながら暮らしていくと、
きっとそこからよい流れは伝播していく気がしてきます。

世界を変えたい、なんて大それたことを昔はわたしも言っていましたが、
簡単に他人を自分の意志だけで変えることはできないのです。

きっと自分が心から信じられることを実際に行動で示していくうちに、
そこに影響を受けて、またひとり、そこからまたひとり、動いていくうちに、
世の中すこしでもよくなっていく気がします。

とりあえず見えない・知らないところで誰かを苦しめる暮らしじゃなくて、
お互いが見えるところで頼れる暮らしをしたいです。

そんなことを思いながら、今夜も眠りにつきます。

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おやすみなさい〜。